以前のコラムにも書いたかもしれないが、とにかくスーパーやコンビニの商品が高い。概ね一品につき数十円から100円程度値上がりしているように感じられる。それゆえに「タイムサービス」や「会員サービス価格」などの表記にはすぐに目が行く。小売店で「サービス」の文字を見れば、多くの人は値下げや割引を思い浮かべるはずだ。
では、サービス業と聞けばどうだろう。飲食業や宿泊業など、主に接客業や人に対して何かをする仕事を思い浮かべるのではないだろうか。厳密な定義は難しいものの、
顧客の要望に応じて、生活に必要な、あるいは娯楽のためのサービスを提供して対価を得る仕事
といったところになる。介護も医療も教育も、私が深く関わる業種はすべて広義にはサービス業に分類される。そこで今回は、サービス業について最近感じていることを書いてみたい。
まず私が気になっているのは、介護や医療の分野で働く人々の中に、自分達の仕事をサービス業と言われることに抵抗を感じる人が一定の割合でいることだ。私の所属団体の仲間にも、「医療職もサービス業だ」と言われて烈火の如く怒っていた方がいた。なぜそういった抵抗感や怒りが湧いてくるのかと考えてみると、
・人の命を預かる仕事をしているという自負
・サービスという言葉の語感の悪さ
の2点が頭に浮かんだ。前者については、その心意気は大切であり、むしろなくては困る。ただ、後者の要素と組み合わさることで複雑な感情を引き起こしているように思う。冒頭でも書いた通り、サービスという言葉には割引やお得なものというイメージがあることは否めない。サービスという言葉が「奉仕」、「値引き」、「おまけ」などの意味で使われ、そこから「顧客に喜んでもらうために本来の価値より少し価格を下げて提供する」というようなニュアンスを感じるのではないだろうか。これは日本的な誤用なのだが、長年に渡り使われたことで染みついたイメージは根強いのだろう。介護職や医療職の人に言わせれば、「そんな“簡単な”仕事じゃないのに」という思いが湧くのではないかと想像する。
その思いに共感できる部分がある一方で、人の命に関わる仕事は医療や介護だけではない。飲食業において食中毒を引き起こせば命に関わることもある。運輸・運送業においても、鉄道や航空機等で事故を起こせば人の命に関わる事態であるし、物流が滞って医薬品の供給が止まってしまえば医療職のスタッフにできることは大幅に減り、患者の命に直結する。様々な職種の人が支え合い、力を合わせて社会は成り立っているのであり、医療・介護職だけが人の命を支える尊い特別な職業ということではないのだ。であるならば、“サービス改善”のために患者や利用者も自身の思いや希望を伝えたり建設的な提案をしたりすることを躊躇うべきではないのである。ちなみに、新型ウイルス騒動の渦中において、特に医療従事者を神格化し、彼らのみに感謝を伝えるような動きがよく見られた。しかし、やはりこれはおかしい。社会を支えるすべての人に感謝すべきだったと、今でも思っている。
それから、サービス業の定義における「顧客の要望に応じて」という点の大切さと難しさを、最近特に感じる。私の仕事はヘルパーの研修や学校での福祉教育の講師業だが、これはまさにサービス業だ。依頼主(介護事業所や学校の先生)の求める内容を聞き手(研修の受講生や授業を受ける児童)の反応を確認しながら語り、届けていく。研修の受講生からの質問や感想のうち、今後に活かせるものは講義資料に追加しアップデートする。また、学校の先生からの要望は毎回微妙に異なるため、きちんと打ち合わせをしたうえで資料を修正して授業に臨む。もし私がこれらの手間を惜しめば、私の語りは独り善がりでピントのズレたものになり、早晩仕事を失うことになるだろう。「顧客の要望に応える」ということは、当たり前でありながらそれだけ重要なことなのだ。
残念ながら、我が家にケアに来るヘルパーの中に、この点を理解していないように感じられる人がいる。特に訪問介護においては、可能な限り利用者の望む形のケアを提供するのが仕事のはずだ。利用者に確認をせず、自身の思いや判断だけで突っ走ってしまっては、利用者は困惑するばかりである。自身のケアの価値を下げてしまうもったいない姿勢であることに、気づいてほしいものだ。
より視野を広げて考えれば、農林水産業も製造業も、「顧客の要望に応じて、生活に必要なものを提供して対価を得る」仕事である。顧客のニーズを無視して勝手なタイミングで生産者の好きな物だけを提供しても、それは趣味のガーデニングや釣り、DIYと大差がない。つまり、すべての仕事はサービス業の要素を含んでいるのである。大切なのは、相手の望む“もの”を適切なタイミングで提供することだ。特に介護や医療においては、困っている人を助けている実感を得られやすいのかもしれない。しかし、その思いやケア内容が独りよがりなものになっていないか、省みることを忘れないでほしい。まずは、自分が治療やケアを受ける立場だったらどうだろうかと想像してみるだけでいい。難しいことではないはずである。
かく言う私も、介護事業所や学校に与太話をしに来た車椅子のおじさんにならぬよう、謙虚に努力を続けなければならないのだと、自戒を込めて書いておく。
