「終え方」を撮るはずだった――ALS発症から13年、杉田省吾さんと服部文祥さんが語った「生きること」

2026.10.31

2026年9月19日(土)、東京都品川区のキヤノンギャラリーSにて、写真展『OEKATA 難病ALS発症から13年、杉田省吾 終え方の記録』の開催を記念したトークイベントが行われました。本展は、2013年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した杉田省吾さんの歩みを写真家・コサカシンタロウさんが2014年から撮影し、その記録を展示したものです。

イベント前半では写真や映像と共に杉田さんのこれまでの歩みを振り返り、後半ではゲストであるサバイバル登山家・服部文祥さんとの対談を実施。当初は人工呼吸器を付けずに人生を終えようと考えていた杉田さんが、人々との交流や支援制度、視線入力デバイスなどとの出会いを通して、生きることを選んだ経緯が語られました。

医療機器や人的支援を受けながら暮らす杉田さんと、自力での登山や自給的な生活を実践する服部さん。対照的な生き方をしている二人が、「生」と「死」、そして「自立」についてどのような対話を交わしたのかをお届けします。

※杉田省吾さんは、「ユースタイルケア 重度訪問介護」の利用者様です。ユースタイルケアを運営するユースタイルラボラトリー株式会社は、重度障害・難病ケアの事業者として、杉田さんが歩んできた日々や、支援環境との出会いによって生き方の選択肢が広がっていく過程を、多くの方に知っていただきたいと考え、この貴重な記録と対話をお伝えします。ユースタイルラボラトリーは本写真展「OEKATA」に賛同し、協賛しています。

登壇者プロフィール

コサカ シンタロウ
コサカ シンタロウ
写真家/葬儀写真家
1971年、石川県生まれ。約30年葬儀式の写真撮影の仕事に携わる。朽ちていくものたちの美しさに惹かれ、それらをテーマに写真作品を制作。これまでのものをまとめた写真集『動カナクナルマデ居テ』(モモンガプレス)を2025年に出版。
杉田 省吾
杉田 省吾
川崎つながろ会副会長/ALS当事者
1969年、大阪府生まれ。1991年10月、葬儀社に入社。2015年1月、ALS発症により退社。2017年1月、気管切開手術を受け、2月より在宅療養。現在に至る。視線入力PCを活用してベランダから空を撮影し、発信を続ける「窓際写真家」としても活動。
服部 文祥
服部 文祥
登山家/作家
1969年、神奈川県生まれ。1996年のK2登頂などを経て、装備を削り食料を現地調達する「サバイバル登山」を提唱・実践。現在は自然と人間の関わりを問い直す執筆・表現活動を行う。近著に『お金に頼らない生き方』(KADOKAWA)など多数。

【前半】ALS発症から13年 ――「OEKATA」の記録

スクリーンに映し出される数々の写真や映像。2014年の撮影開始から身体の変化、人工呼吸器をめぐる葛藤、そして現在の暮らしまで、コサカさんは一枚一枚の背景にあるできごとを振り返っていきます。

アイス・バケツ・チャレンジをきっかけに始まった撮影

「僕は当時、結構冷たい目で見ていたんですよ」

コサカさんがそう思い返したのは、2014年に世界的に広がったチャリティー運動「アイス・バケツ・チャレンジ」です。ALSの認知度向上や研究支援を目的に、参加者が氷水を頭からかぶり、SNSで次の参加者を指名していくというものでした。

当時、コサカさんの目に留まったのが、以前から葬儀の仕事を通じて交流のあった杉田さんの投稿です。

コサカシンタロウさん(以下、コサカ)「杉田さんが(氷水を)かぶっているんですよ。こういうことをあまりやるタイプじゃないなと思っていたので、何をやっているんだろうと。よくよく聞くと、ALSになったということで。指名されたわけではないけれど、自分もかぶってみようということだったんですね」

杉田さんは2013年にALSを発症。当時、自身の余命を意識し、「人工呼吸器は付けずに人生を終える」と考えていました。

そんな杉田さんの姿を見たコサカさんは、記録撮影を申し出ます。

コサカ 「それを見たときに、僕も記録写真を撮らせてもらえないかなと思ったんです。それが撮影の始まりですね」

服部文祥さん(以下、服部) 「それは、余命数年という前提があったから?」

コサカ 「そうですね。もちろん、亡くなるだろうなと思っていました」

こうして2014年10月5日、杉田さんの45歳の誕生日から撮影がスタート。コサカさん自身、当初は杉田さんの「人生の終わり」までを記録するつもりでレンズを向けていました。それが、この「OEKATA」という記録の出発点となりました。

「やりたいことは先にやる」――合言葉とともに重ねた時間

スクリーンには、杉田さんが家族にALSという病気を説明する映像が映し出されました。主治医から伝えられた余命の見通しや、有効な治療法が確立されていないという厳しい現実。それらを自らの言葉で家族に伝える姿が記録されています。

一方、記録の中には、思わず笑みがこぼれるような場面もありました。

病気の進行によって身体が動かしづらくなり、髪が肌に触れてかゆくても、自分でかくことが難しくなっていた杉田さん。そこで坊主頭にすることになったのですが、その前にある希望を口にしたと言います。

コサカ「坊主にしてしまおうということになったんですけど、その前に一回モヒカンにしたいって言い出しまして(笑)。ちゃんとしたモヒカンになっていないんですけど」

服部「坊主にしたら、そのかゆいという問題は解決するんですか?」

杉田さんの妻・よしこさん(以下、よしこ)「髪が触れてかゆくなることが減るので、多少は楽になりますね。それと、かゆいときに介助してもらうのも楽になります」

日々の不便さを少しでも軽くするための選択にも、遊び心を忘れない杉田さん。写真からはそんな一面が伝わってきます。

また、三浦海岸で制作されたALS啓発のメッセージ映像も上映されました。当時まだ声を出すことができた杉田さんは、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌い、映像には「Life is short, eat dessert first.(人生は短い、デザートから先に食べよう)」という言葉が添えられていました。

コサカ「これは『人生は何が起こるかわからないから、やりたいことは後回しにせず、先にやっていこう』という意味ですね。この言葉が、僕たちの間で合言葉になりました」

その言葉を体現するように、杉田さんは周囲の協力を得ながら、さまざまなことに挑戦していきます。

中でも印象的だったのが、電動車椅子で挑んだ高尾山登山です。

コサカ「電動車椅子でどこまで登れるのか試してみようということだったんですけど、早々にバッテリーが切れてしまいまして。みんなで重い車椅子を押すという、地獄のような登山になったんです(笑)」

他にも、自身が撮影した空の写真を投影する即興ライブや、友人家族とのキャンプなど、写真にはさまざまな思い出が刻まれていました。

身体の変化に応じて、できることは変わっていく。それでも「やりたいことをやる」という姿勢は変わらず、杉田さんは周囲の人々と共に時間を重ねていきました。

人工呼吸器をめぐる迷いと、服部文祥さんとの運命的な出会い

病状が進み、将来に備えて胃ろうの手術などを受ける一方、杉田さんは「人工呼吸器を付けて延命するかどうか」について、まだ決断できずにいました。そんな折、コサカさんがあることに気付きます。

コサカ「杉田さんがFacebookか何かで、服部さんの記事に興味があるような反応を見せたんです。これはチャンスだと思って(笑)。共通の知り合いがいたので、お会いできないか頼んでみたところ、快く引き受けてくださったんです」

こうして2016年3月、服部さんの自宅を訪問する機会が得られました。そこで杉田さんは、服部さんに一つの質問を投げかけます。

「もし自分がALSになったら、人工呼吸器をつけますか?」

服部さんは、自身の考えを率直に伝えながらも、簡単に結論を出すことはしませんでした。

服部「今、俺は健康な体でこういう生活をしているから、その質問をされたら『付けない』と答えると思うんです。でも、実際にそうなったら、また状況が変わってくるじゃないですか。何かを見届けるまでは生きたいとか、そういう風になるかもしれない」

さらに、生命維持を機械に頼ることについても、こう続けました。

服部「俺本人は自然に死ぬ方が良いと思っているんですけど、そういうことができるのは時代が作ったものだから。そこに存在している自分も、その時代と同時に存在しているわけです。だから、電気で生きるのがアンフェアなのかというと、そう簡単には言えない」

自分の価値観を隠さずに語りながらも、それを相手に押しつけることはしない。ALSの当事者だからといって、過剰に気遣うわけでもありません。その率直な姿勢が、杉田さんの心に残りました。

当時の杉田さんのブログには、次のような言葉が綴られていました。

「これまで何事にもできるだけフェアに、真摯に向き合ってきた人の優しさには、ある意味遠慮はなく、とても心地いい」

そして、服部さんからかけられた、ある言葉についても触れられています。

「この状況を楽しまないとね」

杉田さんは「こんなことを言ってくれる人は、そうはいない」と振り返っていました。このとき交わされた言葉は、人工呼吸器をめぐる葛藤の中で、杉田さんの心に残り続けることになります。

支援や技術を知り、「生きる」方向を選ぶ

その後も、人工呼吸器を付けるかどうか、杉田さんの迷いは続きました。

イベントでは、コサカさんが当時の杉田さんのブログ「さて、これから」を読み上げ、人工呼吸器をめぐる葛藤を紹介しました。

その後、杉田さんが「生きる」方向へと舵を切る大きなきっかけとなったのが、視線入力によるPC操作などの技術や、人的支援制度との出会いでした(このことは、後半の対談で杉田さん自身の言葉によって明かされています)。そして、支援技術を体験するイベントで、後に杉田さん夫婦を支えることになる人々と出会いました。

杉田省吾さん(以下、杉田 ※よしこさんと介護スタッフによる代読) 「その人たちから制度のことや、さまざまな人的支援について話を聞き、うまくいけば家族介護に依存せず、療養環境を構築できそうだと感じて、延命する方向で進み始めました。それが2016年6月頃です」

「生きたい」という気持ちだけではなく、実際に生きていくための方法が見えてきたこと。それが杉田さんの選択を支えたのです。

2017年1月、杉田さんは気管切開の手術を受けました。ただし、手術後すぐに人工呼吸器を装着したわけではありません。まだ自発呼吸が保たれていたため、できるだけ装着せずに過ごしたいという思いがありました。

よしこ「人工呼吸器をつけると、いろいろ介助が大変になりますので。本人も、なるべく付けずに済む時間を長く過ごしたいという気持ちがありました」

その後、医師からの助言を受け、人工呼吸器の装着へと進んでいきました。

人工呼吸器と共に過ごす日々、そして現在へ

人工呼吸器を装着した後も、杉田さんの生活にはさまざまな活動がありました。

視線入力PCを活用してベランダから空を撮影する「窓際写真家」としての活動や、ALS当事者同士が交流する患者会「川崎つながろ会」の設立。患者会では、医療従事者や家族も交えた情報交換のみならず、外出イベントなども行われました。こうした活動についても、コサカさんは写真を交えながら紹介していきます。

コサカ「最初の頃、みんなで今後何をしたいか、夢を書こうという企画をしたんです。そのとき杉田さんは『金髪にしたい』と書いたんですね。そしたら、次の週に高野さん(川崎つながろ会・会長)が金髪にしちゃった(笑)」

また、患者会のメンバーと共に福祉バスを利用して外出した写真や、6年半ぶりに高尾山を訪れた映像なども紹介されました。その一方で、コロナ禍では人と会うことが難しくなり、コサカさん自身も撮影に行けない時期があったと言います。

コサカ「この頃から、正直僕もなかなか写真を撮れなくなってきました。ただ、6月21日の世界ALSデーに向けた動画は、やっぱり毎年撮りたいということで、動画だけは撮らせてもらっていました」

身体の状態も、取り巻く環境も、年月と共に大きく変わりました。それでも杉田さんは、重度訪問介護のヘルパーをはじめとする人々の支援を受けながら、日々の楽しみを重ねてきました。

そうした記録を振り返った後、イベントは服部さんとの対談へと移っていきます。

【後半】杉田省吾さん×服部文祥さん――「生きる」とは何か

後半は、服部文祥さんと杉田省吾さんによる対談が行われました。

装備を極力削り、自力で山を登り、狩猟や自給的な生活を実践する服部さん。一方、杉田さんは医療機器や人的支援を受けながら、日々の暮らしを送っています。

一見すると対極的な生き方をしている二人が、「生きること」「自立すること」について、それぞれの考えを交わしました。

※杉田さんはALSのため声を発することが難しく、事前に視線入力で用意した回答を、介護スタッフが代読する形で対話が進められました。

「動けないって、どうなの?」――身体の変化と日常への適応

服部さんが最初に投げかけたのは、率直な質問でした。

服部「動けないって、どんな感じ?」

杉田さんは現在の身体の状態について、目は自分の意思どおりに動くこと、上肢の大部分は麻痺しているものの、下肢にはまだ動かせる部分があり、右足の親指(右母趾)などをPC操作に活用していることを説明。その上で、こう答えました。

杉田「正直、動かしたくなる衝動に駆られることも、ないわけではありません。でも、それも年にどれぐらいあるかな、という感じです」

杉田「全身をこわばらせ、歯を食いしばり、やっとテーブルの上に手を置けたという頃が、最もつらい時期でした。以前のようにできないということが増えていく現実に、心身共に疲弊していました」

病気が進行し、できないことが増えていく時期が、最も苦しかったと振り返ります。しかし、身体が動かなくなった後の心境は、服部さんの想像とは少し違うものでした。

杉田「どんなに頑張っても体が反応しなくなると、もう諦めがつくんです。時間の経過と共にそういう状態に慣れて、何とも思わなくなっていきました。医療職や介護職などの支援が適切に機能し、動かないなりに自分が思うような生活を送れていることも、大きな要因になっています」

服部「思っていたのと、ちょっと違いました。意識だけがしっかりしていて、もっとまどろっこしいのかなと思っていたけど、そうじゃないんだね。慣れるんだ」

杉田さんの回答からは、動けないという状態への適応だけでなく、適切な支援を受けながら自分の望む生活を実現できていることの大きさが伝わってきました。

人工呼吸器をつけて生きること――安堵と不安の両方を語る

続いて服部さんは、杉田さんの人生を大きく変えた選択について尋ねます。

服部「人工呼吸器を付けるといつ決めたのか。付けてどうだったか?」

これに対する杉田さんの答えは、意外なほど短いものでした。

杉田「正直、ほっとしました」

しかし、人工呼吸器を付けて生きる選択をしたからといって、すべての苦しみがなくなったわけではありません。「死にたいと思ったことはあるか」という問いに、杉田さんは次のように答えています。

杉田 「気管切開後の入院中に、原因不明の背中の痛みに悩まされ、ずっと眠れませんでした。また、そのことで妻に大きな負担をかけている自分の存在が嫌になり、このときばかりは本気で死にたかったですね。延命に備える手術の直後に、死にたくなったわけです」

さらに対談では、病気の進行によって眼球さえも動かなくなり、意思伝達ができなくなる「TLS(完全閉じ込め症候群)」についても話題に上がりました。

杉田「もしそうなったら、人工呼吸器を外してほしいのですが、現状では合法ではありません」

この回答を受け、服部さんは身体が動かない人の意識を脳の活動から読み取る研究について触れながら、命の有限性について語ります。

服部「でも、『死ぬこともできない状況』と言いながら、命というのは絶対に有限なんですよ。我々はいつか必ず死ぬ。よく考えると、いつか死ぬという状況が、生きるということだから。死ぬからこそ、今この瞬間があるというか」

生命維持のための技術をどう捉えるか。そこで交わされた言葉は、単に延命の是非を問うものではなく、限りある命とどう向き合うかという問いへと広がっていきました。

他者の支援を受けながら生きる――「自立」とは何か

対談の中でも、とりわけ印象的だったのが、「自立」をめぐるやり取りです。

服部「個人的には、自立していない人間は生きているとは考えにくいが、そのことをどう思うか。完全に自立している人間はいないとは承知しています」

この問いに対し、杉田さんはまず、「自立していない」という言葉の意味を整理した上で、自身の考えを伝えました。

杉田「私はただ、自分が置かれた状況に応じて生き方を選択しただけです。すでにこの社会にあるものを使い、私自身の意思でリスクを負って、生きる選択をしました」

杉田「今も自分の意思でさまざまな選択をし、できる範囲で生きたいように生きています。要するに、この国の大多数の大人と同じような生き方をしているわけです。少なくとも、私はそう思っています」

一方で、服部さんの考えを真っ向から否定することもしませんでした。

杉田「命に関わる病に罹患したとしても、自然の摂理に従えば、そのまま生を終えることが自然だし、人間社会ではそういう生き方が潔く、美しいと見える雰囲気もある。というわけで、質問の『どう思うか』ですが、『そういう価値観もあるよね』と思いました。大切なことは、生き切ることじゃないかな」

服部「明確な良い答えだと思います」

服部さんは、野生動物との関わりや自身の登山経験から、「自立」を重視するようになった背景を説明します。

服部「野生動物は餌を獲れなかったら死ぬ、水を飲めなかったら死ぬ。そういう連中と付き合っていて、僕はそっちの方が正しいし、かっこいいと思うんですよね」

服部「山登りの究極の面白さというか、核心は、野生環境の中で自分が山に登って、そこから生きて帰るためにどうするかを、自分の判断で決めることなんです」

そんな服部さんですが、近年は自給自足に近い暮らしを続ける中で、自分と自然との関係について新たな感覚を抱くようになったと言います。

服部 「季節がめぐって、その季節に合わせて自然界が動いていく。その中で成長している生き物や植物を獲って食べて、自分も生命を維持して、またそこから排泄して、畑に撒いて。そういう生活をずっとしていると、その環境と自分との境界線が薄れてくるんですよ」

服部 「今は、この星の生態系の流れにうまく乗ることが、生きていることの実感になってきました」

自らの判断で生き抜くことを大切にしてきた服部さんが、自然の循環の一部として存在することにも、生の実感を見い出すようになったと言うのです。

生きることに意味は必要か――二人が語る生の実感

こうした服部さんの話を受け、杉田さんはさらに問いかけます。

杉田「人間は生きる意味や、何のために生きるのかを考えがちですが、そんなことを考えなくても、目の前で起こることに対処し続けるだけで生きていけるのではとも思ってしまいます。人間が生きるために意味が必要でしょうか?」

服部「若い頃は考えていましたけど、今は結論として、生きる意味はないと思っています。命の存在そのものにも、意味は恐らくないと考えています」

一見、突き放したようにも聞こえる言葉ですが、服部さんは続けます。

服部「人間は、存在する意味がなくても、人生の意味みたいなものを自分で設定して、見つけられるんですよ。生きる意味はないのに、人間という存在は、それを作り出すことができる。それは、あった方がより生きやすいのかなとは思っています」

さらに、目の前のことに向き合って日々を過ごすという杉田さんの考えにも、共感を示しました。

服部「今日食べられるものを、今日あるものの中から畑で採ってきて食べて、生きていけばいいんじゃないの、と思っています」

最後に、服部さんから杉田さんへ「生きるって、何だろう?」という問いが投げかけられました。

杉田「よく分からないというのが本音ですが、生きるというのは、生まれてから死ぬまでのことで、その中身は膨大な数の選択によって形作られている。その選択の基準は、生存できる可能性だけではなく、人間なのだから、より良く生きるための選択がほとんどなはず」

杉田 「『より良く生きる』は『幸福になる』と言い換えられると思う。なので、生きるとは、幸せになるための営みと言えなくもない。なんてことを漠然と考えました」

その答えを聞いた服部さんは、シンプルに問い返しました。

服部 「それで、幸せなんですか?」

杉田 「幸せです」

服部 「だったらいいね」

一見対極的な生き方をしている二人ですが、どちらも自分自身の意思で選択を重ねながら、今という時間を生きています。対談では、互いの考えを無理に一致させようとするのではなく、異なる価値観を持ったまま率直に言葉を交わす姿が印象的でした。

「終え方」を撮るはずだった、その先へ

イベントの最後、コサカさんが再びマイクを握り、撮影を始めた当初の杉田さんとの会話を振り返りました。

コサカ「もし、この記録写真が写真集になったら、もしかしたら最後のページは杉田さんが亡くなった後の写真になるかもしれませんね、という話をしたんです」

当時は、杉田さんが亡くなることを前提として、記録撮影を始めていました。

コサカ「奥さんのよしこさんが、杉田さんが亡くなった後、つらさを抱えながらも少し笑えるようになって、最後に一人で笑っている。そんな写真になるかもしれませんね、と」

そんな話をした際、コサカさんは冗談交じりに「僕は木村伊兵衛写真賞を受賞しますから」と言ったそうです。すると杉田さんは、笑いながらこう返したといいます。

「それ、俺は見られないやんけ」

当時は、写真集の最後の1ページが杉田さんのいない風景になることを、二人とも想像していたのでしょう。しかし年月を経て、コサカさんが思い描く最後の1ページは、大きく変わっていました。そのきっかけの一つとなったのが、杉田さんに重度訪問介護サービスを提供している、ユースタイルケアのスタッフとの会話だったそうです。

以前、ALSの未来について尋ねた際、そのスタッフは「ALSは10年後には治る病気になっていると思う」と話していたと言います。年月が経ち、改めて同じ質問をしたところ、こんな答えが返ってきました。

「ALSという病気が、いつ治る病気になるかは分からないですが、必ず治る病気になると思います。でも、その前にテクノロジーの進化によって、体が動かない不自由な病気だということはなくなると思います」

この言葉を聞いて、コサカさんは新たな未来を思い描くようになりました。

コサカ「もし、これからこの『終え方』という記録の写真集を出せることになったとしたら…最後の1ページはよしこさんが一人で笑っている写真ではなくて。杉田さんが体中に何かすごい機械を付けているかもしれないけれども、二人で立って、手をつないで笑っている写真になるかもしれないなと思ったんです」


「すべての必要な人に、必要なケアを届ける。」

ユースタイルラボラトリーは、この理念のもと、ALSをはじめとする難病や重い障害のある方の在宅生活を支援しています。国内最多のALS支援実績を持つ「ユースタイルケア 重度訪問介護」の提供をはじめ、現場で得た知見の発信や人材育成などを通じて、一人ひとりが自分らしい暮らしを選べる社会を目指しています。

ALSをはじめとする難病や重度障害により、在宅生活に不安やお困りごとのある方は、どうぞお気軽にご相談ください。

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