30代という若さでALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した池田竜一さん。30年以上もの間、ALSと向き合い続け、5月に68歳の誕生日を迎えられました。
同時に奥様は「支援者」としてALSに向き合い続け、30年以上の時をともに歩んでこられました。
池田さんは、発症から数年で気管切開をされました。
ユースタイルケアは今年より、佐賀 重度訪問介護事業所からスタッフがご自宅にお伺いして、重度訪問介護サービスを提供させていただいています。池田さんは、体位交換や排泄介助といった身体介護だけでなく、喀痰吸引や経管栄養といった医療的ケアや、文字盤を用いたコミュニケーション支援を受けながら、ご自宅で生活されています。
今回、池田さんと奥様から、発症してから現在まで30余年の心境の変化と、在宅ケアをするご家族としての率直なお気持ちを、手記にしてお寄せいただきました。
池田さんの手記は、池田さんご本人が、右足の親指と人差し指でパソコンのコントローラーを挟んで入力操作し、執筆されたものです(本ブログへの掲載にあたり、一部当社で加筆しております)。
6月21日は「世界ALSデー」。世界中で、ALSへの理解や、当事者への支援、治療法研究の促進を呼びかける日です。
ALSについて考える一助になることを祈り、お二人の生の声をお届けします。
【ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは】
ALSは、手足や口、舌などの筋肉や呼吸に必要な筋肉が徐々に衰弱し、動かせなくなっていく進行性の病気です。症状が進行すれば、痰の吸引や呼吸の補助、経管栄養、胃ろうなどの医療的ケアが必要になり、24時間のつきっきりの介護が必要になります。
手足や顔・眼球、呼吸をするための筋肉が動かなくなっても、意識や思考力は鮮明に保たれています。そのため患者様は、意識は明確なのに体が動かず瞬きもできない不自由さの中で生活することになります。
脳からの信号を筋肉に伝える神経細胞「運動ニューロン」の異常により筋肉が動かなくなり弱っていく病気ですが、現時点では、原因は解明されておらず、完治する治療方法も確立していません。
日本全国での患者は約1万人だといわれています。
60代~70代の発症率が高いですが、中には30代など若くして発症する方もいらっしゃいます。
ALSと向き合って30年以上。僕が今、思うこと
36~37歳の頃、脚の動きがおかしいと感じ始めました。症状が進行していく難病、ALSでした。
発症から30年以上経った今も、僕は生きています。
ALSだと知った時は、世の中と自分の運命をひどく恨みました。
「悪いことは交通違反ぐらいしかしていないのに、なぜ僕がALSにならなくてはいけないんだ。この病気はどうして僕を選んだんだ」と、やり場のない不安と憤りでいっぱいでした。
そんなある日、自宅で呼吸不全を起こして救急車で運ばれました。主治医に「気管切開をします」と告げられた時、僕にためらいはありませんでした。
僕には3人の子どもがいます。当時、長女は8歳、長男は6歳、次男においてはまだ4歳でした。生きて、小さなこの子たちの成長を見たい。気管切開をすることを即座に決めました。
気管切開をし、人工呼吸器をつけて2、3年が経った頃から、ALSになった自分の運命を恨んでばかりいた僕の気持ちに、少しずつ変化が訪れました。
「ALSを患ったのが、僕の家族や親戚、知り合いではなくて良かった」。僕の大切な人たちがALSになるくらいなら、僕でよかったと考えるようになったのです。
それでも、「せめて発病が後5年遅かったら」と思うことがあります。
子供たちと一緒に遊んだり、山に登ったり、勉強を教えたりしたかった。特に次男とは、二人だけで外に遊びに行ったことがありません。後5年あれば、一緒にいろいろな経験をすることが少しはできたのに、とよく思ってしまいます。
また、父が大切に守ってきた田畑を引き継ぐことができず、僕の代で手放すことになってしまいました。それが心残りであり、父に対して申し訳ない気持ちがぬぐい切れません。
〈支えてくださるすべての方々へ〉
僕が今日まで生きてこられたのは、家族の叱咤激励があったからです。
そして、主治医、かかりつけ医、訪問看護師や病院の看護師、介護員、ケアマネージャー、訪問リハビリの先生。日中も夜間も支えてくださるヘルパーの皆さん。西九州大学の植田先生。
僕に関わってくださっているすべての方々の多大なるご支援・ご声援のおかげだと、心から感謝しております。本当に、ありがとうございます。
奥様のお声:「介助者」である前に「家族」でいたい
子育てと難病の発症の時期が重なったとき、家庭内には想像を超える負担がのしかかりました。
育児に追われながら、同時に大切な家族の介助を担う毎日。心身の余裕は少しずつ削られていきます。
世の中には、同じように若くして障害と向き合うことになったご家族が数多くいらっしゃいます。働き盛り、子育て真っ最中という時期に介助者としての役割を背負うことになれば、本人だけでなく、支える家族の人生設計や心の健康、そして家族の形そのものが大きく揺らいでしまうことも少なくありません。
介護サービスは、利用されるご本人のためだけのものではなく、そのご家族の人生を守るためのものでもあってほしいと思っています。
- 介助する家族の声に、じっくり耳を傾けられる場があること。
- 一人で抱え込まず、悩みや不安を打ち明けられる相手がいること。
- 家族が「介助者」である前に「家族」でいられる時間を取り戻せること。
こうした視点に立ったサービスや仕組みが広がっていくことで、障害のあるご本人もご家族も、それぞれが自分らしく生きていける社会に近づいていってほしいと思います。
池田さんの支援内容を振り返って見える課題
池田さんは現在、重度訪問介護サービスを利用されていますが、決して万全な支援とは言えません。
発症後から池田さんが受けてきた支援は、次のようになっています。
| 時期(年齢) | 介護系サービスによる支援内容 |
|---|---|
| 1994~95年 (36~37歳) |
発症 |
| 2001年 夏 (43歳) |
訪問看護の利用開始(入浴介助) |
| 2002年10月 (44歳) |
気管切開→人工呼吸器を装着 |
| 2003年 2月 (44歳) |
在宅療養生活の開始 池田さん支援チームが組まれ、在宅療養生活の受け入れ態勢が整う。 チームメンバー: ケアマネージャー、訪問看護師、 訪問介護のヘルパー、訪問リハビリの療法士 |
| 2006年 4月 (47歳) |
障害者自立支援法により、重度訪問介護サービス開始 |
| 2012年 4月 (53歳) |
法改正に伴い、一定の研修課程を修了した介護職員等は、喀痰吸引等の医療的ケアを実施することが可能に。 |
| 2019年 4月 (60歳) |
夜間の介護に重度訪問介護サービスを利用開始 (訪問日数:毎日) |
| 2025年10月 (67歳) |
夜間の重度訪問介護の利用時間が、週に10時間減に (訪問日数:毎日) |
| 2026年 4月 (67歳) |
1つの事業所では夜間介護の人員確保が出来ず、2事業者で支援する体制に変更するが、支援日数が減少(訪問日数:週5日に減少) |
| 2026年 5月 (68歳) |
夜間の重度訪問介護の利用日数が1日増加(訪問日数:週6日) |
ALSのような難病・重度障害の方に長時間の「見守り」や介護を提供することができる重度訪問介護サービスが、日本で制度化されたのは2006年。ヘルパーなどの介護職員がたんの吸引や経管栄養などの「医療的ケア」を行えるようになったのは、2012年4月です(ユースタイルラボラトリーも、この2012年に創業しました)。
上の表を見ると、人工呼吸器を装着した池田さんが自宅で生活を始めたのは2003年。当時、介護ヘルパーは、喀痰吸引などの医療的ケアを行うことができませんでした。医療的ケアは、訪問看護師が来ているタイミングであれば看護師がしてくれますが、それ以外の時間帯はほぼすべて、ご家族が対応されていたと考えられます。
また、池田さんは、2019年になってようやく、夜間の重度訪問介護サービスの利用を開始されています。
つまり、人工呼吸器を装着されてからこのときまで、長きにわたり、夜間の見守りは奥様をはじめご家族が担い続けてこられたことになります。その夜間の重度訪問介護サービスも、現在も人員不足等から利用時間・訪問日数が減ることがあり、決して安定した支援環境とは言えません。
難病に対峙しながらも「在宅で生きる」環境が少しでも向上するよう、ご家族の不安や負荷が軽減されるよう。私たちユースタイルは、医療的ケアができる介護人材の育成と、より安定した重度訪問介護サービスの提供に力を入れてまいります。
池田さんご家族をはじめ、在宅ですごしたいすべてのALS・難病の方々とそのご家族が、お互いに「家族」として接することができ、自分らしく生きられるように努めます。
難病や重度の障害により在宅生活に不安や困りごとのある方は、いつでもご相談ください。
