【利用者・加藤拓の経験”知”】第44回 資格が担保するものとは

2024.11.13

当事者コラム

クイズ番組で出演者が「漢検◯級」とか「TOEIC◯点」、あるいは教員免許を持っていると紹介されているのを見ると、つい私は「言わなきゃいいのに」と思ってしまう。もしそれで漢字や英語の問題を間違えたり、簡単な教養問題がわからなかったりしたら、

「資格を持っているのにわからないのかよ!」

とイジられることは必至だからだ。有資格者というイメージと問題に不正解だったというギャップは、番組の演出的にも本人としても“オイシイ”のかもしれない。しかし、資格取得までの本人の頑張りだけでなく、結果的に資格そのものの価値を下げてしまうことにならないか、老婆心ながら心配になる。

そもそも、資格というものはなぜ存在するのだろうか。正確な答えというものはないが、

(特定の業務を担う)人がそれまでに一定の知識や技術を身につけたと客観的に証明し、社会の混乱を防ぐため

といったところになるだろう。

そして、日本における資格は大きくは

国家資格(弁護士、看護師、介護福祉士など)

公的資格(食品衛生責任者、防災管理技能者など)

民間資格(音楽療法士、実用数学技能検定など)

の3つに分類される。そして、資格の持つ性質も異なる。その資格を持つ人だけが独占的に業務に携われるものや、有資格者であることを詐称すると罰せられるものなどもある。数えきれないほどの資格が日本には存在するが、私に馴染み深い資格を取り巻く状況を見ると、社会の様々な課題が浮き彫りになってくる。

まず、私が取得した教員免許は、誤解が多いものの実は国家資格ではない。管理しているのは各都道府県の教育委員会である。しかし、原則として全国で有効だというからややこしい。これは、戦前に教育界も軍国主義教育に加担した反省から、教員養成に直接国が関わらない形をとったということだろう。その理屈はわかる。ただ、不祥事を起こして解雇された教員が他県で採用されて同様の不祥事を繰り返すというような事態が何度も起こってしまっているのも事実だ。これは、教員免許の管理が各都道府県教育委員会であり、横の連携が弱いからこそ起きる事態なのである。

また、最近、短大卒相当で取得できる2種免許状を4年制大学でも取得できるコースが開設されると聞いた。教員の人手不足解消を狙った文科省の策だというのだが、私には的外れに思えてならない。人手不足の原因は、ひとえに労働環境が過酷なことと、それに見合わない待遇が世間にイメージとして定着したことだ。資格取得の大変さは大きな理由ではない。私には国や文科省が本質的な議論から逃げているようにしか見えない。戦後、今の学校教育が形作られてから今まで、いくら時代が変わっても教育のやり方の大枠は変わっていない。ならば、今の時代に学校は子どもたちが何を学ぶところで、そのためにどんなことを行い、教員は何を担うべきなのかをもう一度整理すべきではないのだろうか。そうして初めて、教員の労働環境や待遇、資格のあり方などの新しい形が見えてくるはずだ。少なくとも、今ある資格の間口を広げただけで解決するような簡単な話ではない。

一方で、介護に関する資格もいくつかあるが、色々と変わったり新設されたりしてわかりにくい印象だ。古くは「ヘルパー◯級」と呼んでいたのだが、今の若いヘルパーの皆さまは知らないだろう(苦笑)。訪問介護について言えば、現状は

統合課程(重度訪問介護のみ)→初任者研修(各種ケアを担当可能)→介護福祉士→介護支援専門員

という大まかな流れになっている。介護支援専門員が介護福祉士の上位資格とされているが、個人的にはあまり腑に落ちない。介護福祉士の取得は介護支援専門員の受験資格には当てはまるが、介護福祉士(主にサ責)の仕事とケアマネージャーの仕事は質がまったく違うからだ。また、看護師や薬剤師などの医療職出身者もケアマネージャーを目指せるという。いくら5年の実務経験を要するとはいえ、それで本当にケア現場の実態を深く理解しマネジメントができるのかということも、私は疑問に思う。

さらに言えば、私自身が受けるケアの質とヘルパーが取得済みの資格には、あまり関係がないように感じる。統合課程しか終えていないヘルパーのケアでも息が合って素晴らしいと思うこともあれば、介護福祉士を持ったヘルパーのケアでも感覚が合わずイマイチだと思うこともある。介護福祉士を取得するくらい経験を積めば、経験から様々なケアの引き出しがあって、合わせられる利用者の幅が広い傾向はあるだろう。しかし、それは個々のヘルパーの経験がものを言うのであって、資格によって担保されるものではないのだ。

また、スタッフの処遇改善のために様々な研修の受講や資格取得が勧められているとも聞く。本人の賃金には多少影響するのだろうが、この国で本格的に介護職の賃金を上げるのはそんなに簡単な話ではない。介護報酬の本体部分が上がらなければ原則として賃金は上がらないのだから、国民負担とセットで議論すべきことだ。医師会のような強い団体を持たない介護業界にできるのは、多くの人が「ヘルパーは皆いい仕事をしている、だから自分たちの負担が増えてもいいからもっと給料を増やしてあげてほしい」という、政治家も省庁も無視できないほどの世論をつくりあげるくらいしかない。資格の制度を頻繁にいじっても、本質的な問題解決にはつながらない。資格取得のための養成機関を永らえさせるばかりで、ケアの質の向上にはあまり寄与しないだろう。養成機関に利用者側の講師を増やした方が、ケアの質の向上やその先にうっすらと見える賃上げには間違いなくプラスになるはずだ。

私が教員免許を取得したのは、もう15年以上も前のことだ。それ以来、地域の学校でのゲスト講師をしたり、他の講演で話のネタにしたりと活用してきた。学校の授業で伝えるメッセージも、それなりに深まって洗練されてきたとは思う。しかし、当然ながら私の教科の授業のスキルは日々担当されている現場の先生方には遠く及ばない。私が積み重ねたのはたまに学校に来る「ゲストの加藤さん」としての経験であって、毎日子どもたちと向き合う「加藤先生」としての経験ではないからだ。

このように、資格が本当に担保してくれるのは、その仕事や役割を担うだけの準備をしたという過去の努力だけなのである。だからこそ、目の前の相手に対して自分にできる最善を提供しようと努力する姿勢が大切なのだ。そして、日々の経験を積み重ねていくことが、これから遭遇するかもしれない様々な場面に対応するためのヒントになり得るのである。資格とは、スタートラインであり、土台のようなものだと私は思っている。そこに何を積み上げ、どのように磨き上げるのかは本人次第だ。私はこれからも、加藤に話をしてほしいと言ってくれる相手の期待に応えるために、資格に誇りを持ちつつ努力を続けたい。

加藤拓(かとう たく) 1983年生まれ。

生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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