11月末に、多くの障害当事者と公共交通事業者が集まって学ぶ「交通サポートマネージャー研修」に参加した。具体的な接遇や介助の練習をするのはもちろん有意義だが、グループワークでは互いの思いや事情を話すことで相互理解につながるというプラスアルファもある。その研修に、視覚障害があり盲導犬ユーザーの方(Mさん)が参加されていた。盲導犬を眺めてかわいいなと思いながら、若い頃の出来事を思い出していた。
私が20代で福祉教育講師として駆け出しだった頃、授業で何度か盲導犬ユーザーの方(Nさん)とご一緒したことがあった。あるとき、その盲導犬が太った気がして
「前よりちょっと太ったかい(笑)?」
と声をかけたところ、明らかにその盲導犬の眉間にシワが寄ったのだ。そしてそれ以降、彼は私とほとんど目を合わせてくれなくなった。距離感を間違えた結果、嫌われてしまったらしい(苦笑)。犬や猫であっても褒められているか貶されているかはわかるという話は以前から聞いていたが、本当だったのだと身をもって感じたのだった。
そして最近、人間と動物の関係性ついて考えさせられることが多くあった。ただ、動物といっても多様である。少なくとも
・使役動物(盲導犬、乗用馬など人のために働いてくれるもの)
・愛玩動物(猫、魚類、一部の爬虫類など身近において可愛がることを目的としたもの、ペット)
・野生動物
に分類して考えなければきちんとした整理はできまい。
まず使役動物は、人間にはない能力(筋持久力、嗅覚、視覚など)を活かして私たちの生活を支えてくれる貴重な存在である。最大限の感謝と敬意をもって接し、仕事中の盲導犬を無闇に撫でるなど(そのつもりはなくとも)邪魔をするようなことは慎むべきだ。また、特に犬などを中心に、「人間が訓練をして自分達の生活のために利用するのは虐待だ」との批判が燻るとも聞く。しかし、養成の過程で向いていない犬は無理に訓練を続けない(そのまま家庭犬になることが多いらしい)し、引退後は里親や専用の施設でゆっくり過ごせるような仕組みが整っているのだから、虐待との批判はあたるまい。何より、現状ではその能力を人間の技術が代替できないのだ。人間の技術が発達して、人の捜索や不審物の探知、あるいは障害者のサポート等が広く可能になって初めて、虐待との批判は建設的な意見になり得るのである。
次に、ペットは広く社会に認められ、可愛らしい動画は何回も視聴されるコンテンツとして確立されてきた。しかし、劣悪な環境で飼育したり飼いきれないと野に放ったりする例は後を絶たない。命を預かり共に暮らすことが、ペットの飼い主の責務なのだから、これほど無責任という言葉がしっくりくる行為はないと、私は思っている。その一方で、最近「ペット(特に犬や猫)も人間と同等に扱うべきだ、そうでなければかわいそうだ」という意見が一部にあるようだ。冒頭に触れた研修で、先輩の車椅子ユーザーの方が電車に乗る際に、フリースペースに犬のペットカート(小型犬や猫などを運べるベビーカーのようなもの・末尾に注釈あり)があって車椅子で利用できず困ったという話を聞いた。車内が混雑してきており、事情を説明して移動してもらおうとしたら飼い主が怒り始めてトラブルになりかけたという。私自身も最近、地下鉄の駅のエレベーターでペットカートを見かけたことがある。トラブルにはなっていないが、エレベーターや車内のフリースペースを利用する“ライバル”がこれ以上増えるのは困るというのが本音だ。
ペットは家族のように大切な存在で、一緒に出かけたいとか、家に置いておくのが心配だという思いは、もちろんわかる。今年(2024年)の初めに起きた羽田空港での飛行機事故で、乗員乗客全員が生還した一方で貨物室にいたペットが死んでしまったことにより、一部の世論は盛り上がったようだ。しかし、やはりペットは人間ではないのだから、同等に扱うべきだというのはいささか無理がある。まずは人間の安全や利便性を確保したうえで、さらにペットに対してどこまで対応できるかと考えていくのが妥当だと私は思う。
さらに、野生動物への対応を見直すことも喫緊の課題だ。東北地方では市街地での熊の出没が頻発しており、つい最近もスーパーに侵入し居座った熊を殺処分にしたことがあった。人里に降りてきた熊は人に慣れ、人間の食べ物の味を覚えた個体はまたそれを求めて再び出てくることが多いと聞く。人間が生活圏を広げ過ぎてしまった側面は、確かにあるだろう。であるならば、これ以上みだりに山林を切り開かず、人間の生活圏に近づき過ぎてしまった個体にのみ、適切な攻撃をして互いに距離をとるほかあるまい。「かわいそう」という言葉を使ってこの対応を批判するのは簡単だ。しかし、安全な場所から行政に非難の言葉をぶつけるのは、著しく無責任である。現地で暮らす人々が怯えて暮らしたり実際に被害を受けたりするのをよしとすることなど、私には到底考えられない。全ての命を大切にというのなら、現地で暮らす人々の命も軽んじていいはずはないからだ。共存とは、なにも同じ場所で共に暮らすということだけではないのである。
このように、動物には健気に私たちに力を貸してくれるものも、愛らしく寄り添ってくれるものも、私たちに牙を剥くものもいる。それらをきちんと区別し、それぞれに対して適切な付き合い方や距離感を考えなければならない。声の大きな人たちの意見に引きずられ過ぎないよう、冷静に話し合っていくべきだ。
かく言う私は、子どものころから身近にある犬のぬいぐるみを熊だと勘違いしていたくらいだから、動物に対する愛が足りないのかもしれない(苦笑)。まずは、犬や猫などにも余計なひとことを言わないようにするところから始めようと思う。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。
(注釈・ペットカート)
ケージを載せて推すベビーカーのような形のものの総称である。東京メトロに乗車の際のルールについて問い合わせたところ、以下の回答があった。
【専用の容器(いわゆるケージのこと)を含むペットカート全体】
縦・横・高さの合計が250センチメートル以内
重量が30キログラム以内
※1辺の長さが200センチメートルを超えるものは車内に持ち込めない
【専用の容器】
3辺の最大の和が120センチメートル以内、容器に収納した重量が10キログラム以内
上記の条件内であれば、ペットカート等も畳まずに乗車できるが、その際は、顔・体全体を収納していただくようお願いしており、専用の容器をご利用いただいていない場合は、ご乗車をお断りしている。
