【利用者・加藤拓の経験”知”】第37回 介護制度について感じること

2024.03.29

当事者コラム

加藤 拓

第37回 介護制度について感じること

3月初旬に個人事業主として確定申告を済ませた。

年度末は現役世代の多くが忙しくしている。そもそも「年度」とは、官公庁が予算を執行するための区切りとして明治時代に作られたそうだ。「年度」も、「年」も、人の都合で区切っているだけで、新年や新年度を迎えたからと言って自然に何かが変わるわけではない。いまだに「新年おめでとう」と言いながら何がおめでたいのかと思うこともある。それでも、人は何かの期限がないと動かない生き物だ。社会を円滑にまわすためにも個人の生活を律するためにも、時間の区切りは必要なのだろう。

折しも、私のコラムは前回で36回となった。月に一度、丸3年にわたり思いのままに書かせていただいたことに、心から感謝している。4年目に入る今回は原点に戻り、改めて介護についてこれまで感じてきたことを書いてみたい。

まず、現場のヘルパーやケアマネージャーの方々には本当に頭が下がる思いだ。私は20年以上障害者支援制度を、同居している母は13年にわたり介護保険によるケアを利用して生活してきた。個々のケアについて言いたいことはある。それでも、父が亡くなり、母が病を得ても私が自宅で暮らし続けられたのは、紛れもなく現場のスタッフのおかげだ。素敵な仲間も社会での役割も得ることができた。ただ、制度の理念や設計に疑問を持つことも少なからずあった。

私の大学入学当初は、支援費制度(※1)のもとで限られた範囲でしかケアを利用できなかった。通学や学内でのサポートにケアを利用できなかったことには驚いたものだ。それによって社会福祉協議会や地域のボランティアの方との接点ができたり、大学の友人達とのつながりが深まったりした面はある。だが、それはあくまで副産物だ。行政や政策担当者が考える重度の”障害者像”に、大学で学び社会に出て一定の役割を果たすというイメージがなかったのだろうと考えざるを得ない。

また、自宅でケアとしてお願いできることの基準も理屈もいまだによくわからない。たとえば玄関にあるガラス張りの照明(壁に埋め込まれているタイプ)に飛散防止フィルムを貼ってほしいと頼んだら、「ガラス面に触ってはいけないから」という理由で断られたことがあった。布団をベランダで天日干ししてほしいと頼んだら、「元々の計画にないからグレーゾーンだ」と難色を示されたこともあった。ケア内容の自由度が比較的高い重度訪問介護とはいえ、あれもこれもとはならぬよう、意識して抑制的にお願いしてきたつもりだ。しかし、事業所やヘルパーによって反応が違って困るのだ。少しでも“微妙”なら事業所やケアマネージャー、場合によっては役所と確認しながら進めるしかない。

介護保険にもまた、難しさを感じることがある。母には脳梗塞による右半身麻痺があり、細かい作業や調理は難しいが意思疎通も杖歩行もできる。言うなれば、要介護と要支援の間である。もし認定調査で要支援になると、ケアを利用できる回数が減ってしまう。そのうえ、要支援の生活援助はかなり単価が安く、事業者側にとっても引き受けづらいうえに手続きも煩雑だと聞く。現に、母のケアを提供している事業所の中には「要支援になったら撤退します」と公言するところもある。本来、要介護度が低いということは心身の状態が良いということだ。しかし、現状では利用者も事業者側も幸せにならない。それゆえに、母の場合は「要介護1を死守しなければ」という妙な話になってしまう。母は当てはまらないが、他の利用者にはケアマネージャー等が”演技指導”をして、認定調査の際に困っているアピールをすることも珍しくないという。筋の悪いやり方だが、現行制度ではそうせざるを得ないのだ。

そもそも、私はケアプランという言葉自体がナンセンスだと思っている。意地悪だと自覚してあえて書くが、

「では、あなたは1週間すべてプラン通りに生活しているのか?」

と言いたくなるからだ。たとえば、介護保険でも障害者支援でも「移動支援」の時間ならば外出しかできない。もし利用者が、「今日は雨だから出かけるのをやめようか」などとその日に言えば、当日キャンセル扱いでキャンセル料だという話になる。さらに、同居家族から「○時までは帰って来ないで」と言われたというエピソードは枚挙にいとまがない。利用者の“外出”は同居家族にとって、家事や他の用事を済ませることができる貴重な時間(レスパイトケア)なのだ。デイサービスの利用についても同様で、これがなければ家事をこなすことも働くこともままならないだろう。現状、デイサービスや「移動支援」に求められているのは、多くの場合、利用者の預かりや見守りである。必要な時間であることはもちろんわかるが、これが利用者本人の希望に沿った望む時間の過ごし方だと言い切れるのか、私にはわからない。

介護保険法に基づくケアが開始から20年、障害者自立支援法が総合支援法に改正されて10年以上経つ。2つの法律の第一条にはともに、「尊厳」を守り「日常生活」を支えるという趣旨の文言がある。制度として人手を確保しケアを提供するためには、内容を平準化してプラン通りに行う必要があることは、もちろん理解している。しかし、今の制度に基づくケアは本当にその理念を体現するものになっているだろうか。利用者や家族からいつも感謝の言葉をかけてもらっているから大丈夫だと考える方も多いかもしれない。当然、母も私もヘルパーやケアマネージャーには心から感謝している。だが、常識的な利用者であればあるほど、よほど腹に据えかねることでない限りモノを言うことはないものだ。

制度疲労が目立つようになった今こそ、よりよいケアを目指して制度の理念やあり方を再考すべきなのではないだろうか。そして、そのためには利用者のクレームではない建設的な声と、それらに真摯に向き合う事業者の姿が不可欠なのだ。役所の政策担当者や“専門家”と呼ばれる面々は、現場の実情や実社会を必ずしも理解していない。私たちはそのことを、先の新型ウイルス騒動で見せつけられたではないか。だからこそ、皆で考え、力を合わせて共に作っていこう。今よりもっと血の通った、それぞれの生を大切にする介護を。

(※1)支援費制度 身体障害者及び知的障害者が、その必要に応じて市町村から各種の情報提供や適切なサービス選択の為の相談支援を受け、利用するサービスの種類ごとに支援費の支給を受け、事業者との契約に基づいてサービスを利用できる制度。2003年4月に施行され、2006年4月に障害者自立支援法へ移行した。 https://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/05/s0526-4e.html

加藤 拓

1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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