【利用者・加藤拓の経験”知”】第40回 右と左~左利きという身近なマイノリティから見る世界~

2024.07.10

当事者コラム

加藤拓(かとう たく)

第40回 右と左~左利きという身近なマイノリティから見る世界~

私は統合課程の研修講師を務めて4年になるが、受講者の反応や感想から多くの気づきを得て、学ばせてもらっている。ケアをする側の不安や疑問を知ることは、次の研修で語ることへのヒントになるし、受講者の前職を聞けば社会の流れや景気などが透けて見えることもある(2021年ころまでは前職は飲食業という人が多かった、など)。そして最近も、受講者との印象的なやりとりがあった。

(受講者)「私は左利きなのですが(ケアの際に)大丈夫でしょうか?」

(加藤) 「はい、私は特に気にしません。食事介助のスプーンやお椀の角度が少し違うだけですから。ただ、片側に麻痺がある利用者の場合は工夫が必要なときはあるかもしれません」

かれこれ20年以上、ヘルパーのケアを受けて生活してきたが、ヘルパーの利き手をそこまで気にしたことはなかった。特に問題になる場面がなかったからだろう。しかし言われてみれば、介護や医療の世界は健側、麻痺側、“脱健着患”など、体の左右を意識する場面は多い。そこで今回は、左右と利き手という切り口で私たちの生活をふりかえってみよう。

そもそも、国や地域ごとの差はあれ、総じて人間は右利きの方が多いようだ。さらに、日本では少し前までは左利きは矯正する対象、つまり直すべきものだったのだ。しかも、降格人事のことを“左”遷と言うし、ある能力に特に秀でている人のことを「◯◯について“右”に出る者はいない」と言う。インドでは宗教的に左手は不浄とされると聞く。どうにも“左”は旗色が悪いようで、そこまで邪険に扱わなくてもいいのに(苦笑)とは思う。

実は、私の利き手事情は少々複雑だ。学校のスポーツテストで唯一参加できる握力測定では、いつも右手の方が強かった。ただ、頸椎椎間板ヘルニアを発症するまでは、右肘がピンと伸びた状態で緊張していることが多く、細かい作業は難しかった。そのため、電動車椅子の操作レバーやスプーン、フォークなどは比較的コントロールできる左手で扱ってきたのだ。

その影響で私が最も不便を感じたのは、駅の改札を通過するときだ。ICカードをタッチする機械は右側にあるため、電動車椅子をバックさせて改札に入り、左手でカードをタッチしてそのままバックで改札を通過していた。方向転換や、タッチの際に左手を操作レバーから放すことで電動車椅子の動きが止まり、後続の人を待たせてしまうため心苦しかったのである。頸椎の治療とリハビリを終えた後は、右肩の力が落ちた結果緊張が緩み、右肘を曲げて右手を使うことが容易になった。そのため、スムーズに右手でICカードをタッチできるようになり、改札で感じるプレッシャーはかなり小さくなったのだ。

また、学校の構造そのものが左利きの人にとっては不便なのである。授業の風景を思い出してほしい。教室の席に座って、前の黒板に向かったとき、多くの場合窓は左側にあったことだろう。右手で字を書く時に、机に手の影による暗がりができないよう、そのような設計になっているのだ。明治時代に文部省の指針としてルール化されたものが、慣習として残っているのだという。右利きの人にとってはありがたい“配慮”だろうが、左利きの人にとっては実に“差別的な”設計である。私は教職課程で学ぶ中でこの事実を知った。私のケアに来るヘルパーの多くも、「言われてみればたしかに!」というリアクションがほとんどだ。

さらに言えば、ハサミや包丁、急須などの道具も基本は右利き仕様になっている。母が脳梗塞の後遺症で右麻痺になり、一部の道具を買い替えたのだが、左利き用は種類が少なく若干だが割高になってしまう。そのうえ、リビングに無造作に置いておくとヘルパーが使おうとしてうまく使えず、右利き用のものを探すという地味にストレスフルな事態が多発する。そうかと言って、常に左右2種類の道具を揃えて置いておくほどの手間をかけたくもない。母がリハビリによって左手を器用に使えるようになったことは素晴らしいし、その努力には本当に頭が下がる。母の頑張りと工夫で大方の課題をクリアしたかと思いきや、このように新たな課題が見つかるのだから、生活するということは奥が深い。

日本人の多くを占める右利きの人は、改札をストレスなく通過するし、オフィスに置いてあるハサミを不自由なく使えるし、学校の構造が気になることもないだろう。多くの人は、自身が困ったり不自由を感じたりしなれば、置かれた環境や条件を強く意識しないからだ。左手を主に使う私でさえ、学校の構造が右利き向けに偏ったものであることや、日常の道具がほぼすべて右利き仕様なことになかなか気づかなかったのも、おそらく同じ理由からだろう。

もちろん、改札の向きを揃えなければ改札機として機能しないし、わざわざ左右のハサミを2本ずつ用意してあるオフィスなど、私は聞いたことがない。いわゆる社会インフラを世の中の多数派に合う設計にすることも、ニーズが多い商品は種類が多くなり価格も下がるのも、当然のことだ。しかし、だからといって少数派の人々の苦労をすべて「仕方ない」といって無視するのは、社会のあり方としてよくないと私は思う。

特に、介護や医療など福祉分野で働く人は、病気や障害などによって日常生活で様々な制約を受けている人々を支えるのが仕事だ。たとえ命に直結するようなものでなくても、利用者や患者と呼ばれる立場の人の困り事や悩みに対して、感度高くあってほしい。右利きで、右手ばかり使っている読者は、一度でよいから左手で箸やスプーンなどを使って食事をしてみてはどうだろうか。利き手を使わない(使えない)環境に身を置くことで、日常生活で様々な制約を受けている人々の苦労や心境の一端を垣間見ることができるはずだ。左右と利き手という身近なテーマからでも、社会の様々な側面が見えてくるのである。

加藤拓(かとう たく)

1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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